産経web「国旗国歌指導の徹底求める 対話集会で中山文科相」
この記事にあとでコメント打とうと思ってたら、先に
kiyoaki.nemotoさんからTB頂いちゃいました。ありがとうございます。
中山氏は、全国学力テストの実施などで子どもたちを競わせることについて「競争が悪だというこれまでの教育では、社会の激しい競争についていけない。フリーターや、(働く訓練も教育も受けずにいる若者の)ニートの予備軍を大量に生産することに手を貸している」と指摘。「職業観を子どものころから教えていかなければならない」と述べた。(共同)
文科相の乱暴な語りには辟易します。
まず、フリーター、ニートって何だと思っているんでしょう。この言い回しからすると競争を自分から回避していくことを自ら選ぶ負け組か、単にさぼっている若者のことだと思っていますね。
実際には彼らは単に不況(あるいは経済政策の失敗)のツケを回されたにすぎない。それを「頑張れば道は開ける。道が開けないのはお前たちが頑張らないからだ」とするのは最近のニート論議によく見られる語り口ですね。
もう一つはそれが「競争が悪だというこれまでの教育」という語り。一時期よく聞かれましたね、“競争がいけないから徒競走でみんなで並んでゴールする”とかばかげた教育の話。しかしそういうステレオタイプで教育現場を認識してもらっちゃこまります。
>ただ、現状の教育は競争と無縁かというと、勿論そんなことはない。
>目指す道があろうとも、個人は進学の度にふるいに掛けられている訳だし、学内の試験も結果は公表される。(kiyoaki.nemotoさん)
そうなんですよね。日本の教育が競争的でないというのは誤りです。子どもたちは学力によってふるい分けられている。特に公立高校受験などにおいて顕著ですが、偏差値によって高校は序列化されており、子どもたちはそこに振り分けられていくだけです。静かに、しかしものすごく過酷な競争が行われているんじゃなかったでしょうか。
さて、文科相批判はこのぐらいにしてニートについてもう一度考えておくことにしましょうか。今日も長くなります。(w
『ニート~フリーターでもなく失業者でもなく』を最近読みました。この中で玄田氏はニートが増えた理由として、一括りには出来ないと断りつつも3つの仮説を上げている。(以下引用は同書pp.252-256)
一つは「労働市場説」。「1990年代後半以降、若年の就業環境は厳しさを増した。偏差値の高い一部の大学生を除けば、どんなに努力して就活しても、心からやりたい仕事に出会えるチャンスは少なくなった。それに就職しても、やっている仕事や働く環境は、自分の希望とかけ離れ、勤め続けること自体がとても苦しく感じられる。そんな中である日、「もう働けない」と、就業のために努力することを停止してしまったのかもしれない。」これは非常に納得のいく話。就活をしないニートは統計上は失業者とカウントされないけれど、実際にはほとんど失業者ではないかと思います。
二つ目は「教育問題説」。苅谷氏の『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会へ』での議論を引いて、「学校教育の中で、自分から学ぶ意欲を持つ者と持たない者、努力を続ける者とあきらめた者への二極化がはっきりと進行しているという」。これは「個性化・自由化を進めてきた教育改革の「思わざる結果」」であるのだと。勘違いしないで欲しいんですが、この論点は文科相の話とはかなり違うはずです。個性化・自由化の改革というのは新自由主義的改革路線のことで、実際には格差を拡大・強化する方向性をもった学力差別の教育改革です(
先日のエントリ参照)。そのような教育の中であきらめさせられた者がニート方面に進んでいっているという論点だというように私は読みました。(この文章の歯切れが悪いのは、私が苅谷氏の本のほうをまだ読んでないので。今度読みます)
で、三つ目が「家庭環境説」。これに対しては玄田氏本人も懐疑的。「少子化、核家族化、地域への無関心などは、既に長い過去に遡って進行している事実であり、最近になって急速に増えたものではないということだ。ニート増加は21世紀になって突如現れ始めた現実である。長期的・趨勢的な家庭環境の変化の影響が、今になって噴出したことに対する説得力のある理由説明が、今ひとつ欠けてはいないだろうか。」ニートを抱えられるのは豊かさの結果だという議論にも「ニートが増えた90年代末から2000年代はじめの頃、親の所得はむしろ削減され、見通しも暗くなってきた。」と反論する。さらに依存傾向の強まりと見る議論にも「このわずかな期間に、子どもが急に親に甘えるようになったとは考えられない。親に経済的に依存する人々が増えたとしても、それはニート増加の「原因」ではなく、あくまで「結果」にすぎない。」と否定している。全くその通りだと思います。
二つ目は私がニート問題の論点としてはこれまで押さえていなかったもので、なかなか興味深いですね。ニート問題にリンクしているかどうかはともかく、学力の格差拡大・強化が学校の中で起こっていることはいつか問題化しようと思ってたんですが。ちゃんと読んでからまた話しましょう。
ところでこの三点については納得ですが、玄田氏の本に不満が残るのはですね、最後にやっぱり彼も若者にエールを送っちゃっていることなんです。厳しい状況に置かれている若者を見てあったかい言葉をかけたくなるのは良いことだとは思うんですが、残念ながらそれは逆効果。構造的要因で問題が起こっていることを論じながら、どうして“君たちも頑張ってよ”みたいな論じ方で本をまとめようとするんでしょう。その論じ方は「道が開けないのはお前たちが頑張らないからだ」のオジサンたちに大受けするに違いありませんから。