きのうの教育基本法「改正」についての続き。教育基本法「改正」については「愛国心」の記述が自公の主要な論争点になっているわけなのだが、他にどんな変更点があったんだったかしら?まだもっと色々考えたいのだが、まずは気づいたことから。
昨年6月に与党協議会が出した
「教育基本法に盛り込むべき項目と内容について(中間報告)」の内容を見てみる。「中間報告」なので全ての文章が完成しているわけではない。だから「○○という言葉が足りないので削除しようとしている」という議論の仕方は出来ないかもしれない。けれど「どうしても譲れない部分」については必ずこの報告に盛り込んでいるはずなので、現行教育基本法との違いに注意してみる。
「愛国」以外で最も気になるのは、「義務教育」についての文言である。
中間報告では以下の通り。「○ 義務教育は、人格形成の基礎と国民としての素養を身につけるために行われ、国民は子に、別に法律に定める期間、教育を受けさせる義務を負うこと。○ 国・地方公共団体は、義務教育の実施に共同して責任を負い、国・公立の義務教育諸学校の授業料は無償とすること。」
これは現行法では以下の通り。「第四条(義務教育)国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。」
現行では義務教育の期間は教育基本法の中に「九年の」と明言されているのに、わざわざこれを「別の法律に定める」として外に出しているんですね。これは明らかに、義務教育年限を今後変えることを見込んでのことと思われます。「教育の憲法」とも呼ばれる教育基本法の改正は困難だけれど、別立てにしておけばそこを変えるのは容易ですもんね。(義務教育じたいを改革しようという方針は
文科省のホームページにもはっきりと書かれています。)
私はこの義務教育改革の行き着くところは教育システムの複線化ではないかと思います。教育システムが複雑になって様々な種類の(修学年限も異なるような)学校が並立するような状態になると、子どもたちはあるコースに乗ってしまうとそこから別のコースに乗り直すことが難しくなります。つまり教育のかなり初期において人生のコースわけが行われ、その後は格差が拡大していくという教育のあり方と言っていいと思います。現在の一律の学校制度は、あくまで共通のスタートラインを制度的に保障している点でよいと思います。
先ほど「共通のスタートライン」と書きましたが、これにも留保が必要で。現行制度においてすら、現実のスタートラインは同じではない。というのは、それぞれの家庭が経済的、文化的に恵まれているかによって就学前に与えられている教育の質や量も当然異なっているから。もし制度が複線化することになったら、当然早期教育に熱心な家庭はなるべく早くから進学コースのある学校へと集まるだろうし、それほどでもない家庭、何らかの理由で子どもの教育に充分な時間の割けない家庭は、別のタイプの学校へと子どもを進ませるのではないか。教育の機会均等の原則とはほど遠く、非常に早期からの子どもの分離、エリート差別が進んでいくことになるだろう。
こんなことを考えていたら、教育の機会均等に関する部分についても深読みしたくなってきた。
中間報告。「○ 国民は、能力に応じた教育を受ける機会を与えられ、人種、信条、性別等によって差別されないこと。○ 国・地方公共団体は、奨学に関する施策を講じること。 」
現行法。「第三条(教育の機会均等)すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであつて、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によつて、教育上差別されない。国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によつて修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。」
なぜ中間報告では「社会的身分、経済的地位または門地」を書き落としたのでしょう・・・?ねえ。